歳をとれば悩みが少なくなると思っていたのに、いつまでも悩みや苦しみが無くならない!
どうしてなの?
若い時は自分のことであれこれ悩み、年齢を重ねると家族や人間関係、さまざまな不安で悩み、
歳をとったら悩みがなくなるかと思ったら、体の不調や先々の不安など、新たな悩みがどんどん出てきて、いつまでたっても悩みは無くならない。
悩みとは仏教の教えから見れば『煩悩』(ぼんのう)のこと。
仏教の教えには、日々思い悩んでいる苦しみを楽にする方法があります。
仏教のことをよく知らなくても、誰にでも出来るならやってみませんか。
例えば、
ちょっと考え方を考えてみる。
余計な考えを捨てる。
上座仏教の長老 アルボムッレ・スマナサーラさんの著書『執着の捨て方』から、私たちの悩みを解決する方法を抜粋して、具体的な例をあげながら紹介します。
悩みごとというのはすべて執着から生まれている

私たちの心の中は「欲」でいっぱいです。
生きるために食べ物が食べたい、なら生存するための欲望ですが、それが「特別に美味しいものを食べたい」、となると、
食べることが『執着』になっています。
『執着』というのは、
○ 何かが足りていない。
○ 満たされていない。
ということなので、『悩みごと』は、仏教では『執着』になります。
執着はなぜいけないか?

仏教の教えでは『執着』はいけないもの、とされてますが、なぜいけないのでしょうか。
それは、『執着』から
不安、不満、といったさまざまな悪感情が生まれるからです。
例えば、自分にはこれが足りない、あれが足りないと数え、
同時にあれが欲しい、これが欲しい、と思います。
それが満たされないと不満になり、根拠のない理想の姿に縛られて、苦しむことになるのです。
物に対する執着

これは誰もがずっと持っているのではないでしょうか。
不要なものなのに執着する、手に入らないものに執着する、人と競うことに執着する...
何かを手にいれるために努力をするのとは違い、自分の欲のためにいろんなものを抱えこんでいる状態をさします。
仏教には『無常』という言葉があります。私たちや世の中は日々変化しているという意味です。
自分も世の中も変わっていくので、同じままでは快適に暮らせません。
その中で、人は知らず知らずのうちにいろんなものを捨てながら生きているのです。
どうしても手放すことが出来ない、と思っていても、そのことが悩みや苦しみをもたらすならば、
思い切って捨てましょう!
死ぬまでにいろいろなものを捨てていかなければならないならば、なるべく早くつらい荷物は捨てる。
捨ててみるとすっきりした気持ちになり、心が軽やかになるでしょう。
自分の身体に対する執着

もっと若くなりたい、若く見られたい。
もっと健康になりたい。
もっとスタイルをよくしたい...
自分の身体に対する欲望は際限がありませんね。
もっと、もっとという心の動きに束縛されている状態です。
50歳の人が20歳のままでいられるわけはありません。
自分の年齢なりの肉体を保ち、病気にかからないようにし、生きていけるぐらいの健康があればよいとは思いませんか。
執着があると現状に満足できません。
もっと、もっと、という心の動きの束縛に気がついて、「これはおかしい」と思い、余計な執着を手放して自分の気持ちを楽にしましょう。
子供への執着

たいがいの親は、子供の勉強のことや、言うことを聞かないと言って悩んだり苦しんだりしています。
欲があるから、自分の思うようにならないことに対して不平不満が生まれているのです。
スマナサーラさんによれば、子育ては『親が果たすべき役割』をしていればよいので、それ以上子供に干渉するのは執着になるそうです。
果たすべき役割とは、衣食住の環境を整え、育てることです。
子供への執着はなかなか断ち切れないものですが、親が不満、不平を抱いていると、子供に伝わり、決してよいものではありません。
ここが悪い、こうなって欲しい、何でこうなってしまったのか...そう思っていても、子供が立派に育ち元気に生きていれば、十分ではないでしょうか。
子供への欲(執着)を捨てると、
「子供にとって必要不可欠なものは、すでに、すべてやってきた」
ということがわかります。
すると悩み、苦しみが消えるので、心がとても楽になります。
過去の栄光への執着

過去の栄光がある人はもちろん、誰にでも昔よかった頃を思い出すのは気持ちのよいものですね。
ただ、年月が過ぎ、年をとり、体や環境が変化しているにもかかわらず、いつまでもプライドが強くて現状を受け入れられないでいると、悩み、苦しみが生まれます。
能力が落ちているのに、過去の自分に執着し、
人間は常に変化していく、ということを理解していないのです。
過去の自分など潔く捨てて、変化することを受け入れれば、気持ちが楽になります。
『今、このときを幸せに生きる』ことが、悩み、苦しみをなくす一番の方法なのです。
自分の意見に対する執着

誰にでも自分の意見というものを持っています。
「わたしは意見を特に持っていない」という人でも、見たものに対して、これはコップだ、と思うことも意見になります。
人間は、見たり、嗅いだり、聴いたり、味わったり、触ったりしながら、心のなかでその情報をまとめて、自分の意見というものが作られていきます。
この自分の意見というのは、新しいものに触れるたびに作られ、それを正しいと思っています。
正しいと思っているわけですが、当然他人にも自分の意見があり、意見と意見がぶつかり、折り合うことが難しくなるわけです。
自分の意見を押し通すためにケンカになり、戦争にもなるのです。
意見への執着は、物への執着より強く、自分の意見だけは守ろうと必死になります。
怒りでまわりが見えなくなり、相手の意見に素直に耳を傾けることができなくなってしまいます。
まず、「自分の意見は正しいので変えない」と思うことをやめましょう。
「自分には意見がある。しかし正しいわけではない。」と考えます。
スマナサーラさんは、「意見というのは日々変わるもの」だと言います。
情報に接し正しい意見だと思ったら、間違っていた自分の意見を捨て、正しいと思える意見に更新していきましょう。
そうすることが、仏教の正見(正しい意見)を求める道だそうです。
意見に執着をしない、ということがいかに大事かわかりますね。
人づきあいについての考え方

人づきあいで悩むことは多いですね。
そもそもどんな関係であっても、トラブルが起きやすいものです。
その理由は、前の章『自分の意見に対する執着』で説明したように、人にはそれぞれ自分の意見というものがあるからです。
相手は自分の意見と同じではないし、自分とは違う行動もとります。
人づきあいの悩み、苦しみをなくす方法は、
人づきあいに執着しない、ことです。
例えば、ママ友の悩み。
子供を通じた母親同士のつきあいは、ある期間に限った期限のあるつきあいです。
子供が小さいうちは母親同士の情報交換が必要だったり、協力しあったりすることがあるので、お互いギブアンドテイクし合う関係です。
しかし、つきあいに執着すると余計なことで悩みがでてきます。
深入りせずに、紙コップと割りばしみたいに、必要な時に便利に気持ちよく使い、あとは捨ててしまう、みたいに考えれば気が楽になります。
会社、仕事関係のつきあい、趣味のつきあいも同じです。
人生のある期間だけ必要なつきあいなので、トラブルが起こるほど、腹を立てたり、張り合ったりする必要はありません。
怒ったりするするのは、そのつきあいに執着しているから。
「執着しない」ということを心に決めて、必要だと思う分だけつきあうと思えば気持ちが楽になりませんか。
また、ずっといつまでも同じ人とつきあう、ということもあるかもしれませんが、めったにないと思えば、執着なく気楽につきあえます。
スマナサーラさんは、「執着を捨てることで、本物のつきあいを見つけることが出来る」とも言っています。
いずれにせよ、人づきあいはむずかしい。
『自分の意見』にも、『つきあい』に対しても、意識して執着を持たないようにしていくことが大事なのですね。
歳をとると頑固になるのは本当か?

よく「あの人は歳とったので頑固になった。」という話を聞きますが、本当に歳をとると頑固になるのでしょうか。
歳をとるとたくさんの経験をしてきて、その経験から生まれる意見も多くなります。
その意見にしがみつくと執着が生まれます。
その意見にしがみつきやすい人が、頑固になったり、頭がかたくなったりするのです。
年齢のせいで頑固になるのではなく、経験から生まれる自分の意見に執着し、正しいと思える新しい意見に入れ替えないことが原因といえます。
確かに、頑固な人は年配者でだけではないですね。
生きることは捨てながら進むこと

仏教には、『無常』という教えがあり、
自分は常に変化していて、昨日の自分と今日の自分が違うように、この世のすべてのものが変化しています。
生きるということは、変化しながら、たくさんのものを捨てながら前にすすんでいくということなのです。
執着がいけないのは、捨てれば楽になれるのに、抱え込んで離さないでいると苦しくなってしまうからです。
自然の流れに逆らっていると、どんどん苦しくなるものなのです。
スマナサーラさんは、『潔く捨てる訓練をする』ことをすすめています。
悩み、苦しみを無くすためには、
『意識をして執着を捨てる』
訓練をしていくと、幸せに近づいていくそうです。
まとめ

毎日のささいな悩みから、人生に覆いかぶさる大きな悩みまで、私たちは悩み、苦しみを持ちながら生きています。
歳をとっても悩みが無くならないのは、欲があるからです。
仏教の教えでは、『執着』といいます。
執着を無くせば、楽に生きられる!
しかし簡単ではないので、いくつか身近な例をあげて悩みの解決法を書いてみました。
『無常』とは、
自分も世の中も、いつも同じではなく、変化している
ということです。
これって結構忘れてしまいますよね。
『自分の意見への執着』は、新しくふれた正しいと思う意見を取り入れないということです。
それが人とぶつかる原因になり、頑固になってしまうことなんですね。
なかなか仏様の教えを具体的に知る機会がない中、
アルボムッレ・スマナサーラさんが著書『執着の捨て方』に具体的な例をあげて書かれていたので、紹介しました。
毎日が心安らかに過ごせるようになりますように!
参照:アルボムッレ・スマナサーラ著『執着の捨て方』大和書房